山田尚子監督『聲の形』の感想

とりあえず山田尚子監督の天才っぷりを言いたい

アベレージの高さ

山田尚子監督って今の日本の映画監督でトップクラスというか、なんだったらトップに君臨してると思うんですね。

映画なんて好みの問題なので、順位つけるなんてのは邪道だなとも思うんですが、ほら、お笑いも M-1 で順位付けたりするじゃないですか。アカデミー賞とかカンヌ国際映画祭とかも、まあ言ったら順位付けなわけじゃないですか。

そういう意味で、あえて順位を付けるとしたら、アニメ、実写問わず、ジャンルを超えて現時点で 1 位にいるのが山田尚子監督だと思うんです。

ということは当然、宮崎駿を超えてるってことですからね。レジェンドを。庵野秀明も新海誠も超えてるってことですから。

『リズと青い鳥』が圧倒的だったんですけど、それ以外にも『映画けいおん!』『たまこラブストーリー』そして『聲の形』と、まあひとつも外してないわけですよ。質的に。そういうアベレージ的な面も含めての1位です。

庵野秀明はエヴァの『Q』でやらかしてるし、宮崎駿は『もののけ姫』以降、なんていうか、わりとパターンで作ってるじゃないですか。『風立ちぬ』はちょっと違いましたけど、せっかくの天才を「多くの人、特に子供が楽しめるものを作る」に振ってるじゃないですか。それはそれで素晴らしいことだと思うんですが、結果、実験精神は犠牲になりますよね。

要は丸くなってしまった。尖ってない。

一方で『リズと青い鳥』の尖りっぷり

そんな中、山田尚子監督は特に『リズと青い鳥』でガチガチに尖ってみせたわけです。

興行収入など知ったことかと。TVシリーズのキャラデザなど知ったことかと。ガチの百合ものでいくんじゃいと。

それをバックアップする京都アニメーションもすごいなと思うんですが、山田尚子監督に対する信頼のなせるわざだと思うんですよね。

「芸術」という言葉を安易に使うのは、まあ安易だなと思うんですが、アニメを「芸術」としてこれまでにない高みに持っていくのは山田監督に任せた! という京アニの強い意思を感じます。感じました。

京アニの件

京アニの今の状況を考えると、そういう余力が残ってるとは考えにくいし、そういうこと以前の問題で、そもそも「アニメを作る」ということに対して、京アニに、何より山田監督自身に気力が残ってるのか、というのはあるんですが、本当に、なんでこんなことになってしまったのか。

映画 「聲の形」 が できるまで – THE SHAPE OF VOICE –

どんなにいい作品を作っても、もう以前のように素直には楽しめないと思うんですよね。

これから京アニが作る作品は、しばらくの間、または永遠に、あの事件で亡くなってしまった人へのレクイエムとして捧げられてしまうと思うんです。もう娯楽作品にはなり得ないと思うんですよ。よっぽどふざけたものを作らない限り。

リセット

今は劇場版の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を作ってるという話ですが、あの真面目な作品が一本目というのは、いかがなもんかと個人的に感じています。

もっとふざけたもの、なんだったら観客が呆れるような、レベルの低い、雑なものを作ったほうがいいと思うんですよ。一本目は。一本目は無理なので、少なくとも二本目は。

いったんそれでリセットしないと、ずっと暗い空気に縛られてしまうだろうなと。

でもたぶん、二本目は『響け!ユーフォニアム』なんですよね。過去作品の続編。

両作品とも、興行的にはきっとこれまでの記録を塗り替えると思うし、そのお金は被害にあった人たちにいくと思うので、それが正しいあり方なのかもしれませんが。

とは言っても、山田尚子監督には頭を切り替えてものを作るガッツがあると思うんやわ。ガッツと根性が。でなかったら、あんなレベルの高い作品群は作れないですよ。

『聲の形』の感想

話を『聲の形』に切り替えます。

原作と比べて

映画『聲の形』は、山田尚子監督の映画作品の中では、純度という意味で一番下に来ると思うんですよね。

一番下に来てこの完成度なので、すっげーってことになるんですが、やっぱり原作付きなので、どうしても山田節が鈍ってしまう。

映画見たあとで原作の漫画読んだんですが、原作の漫画の方がちゃんとしてるんですよ、やっぱり。描き方が。

泥臭く丁寧に描いてるんです。おしゃれではないですよ、まったく。でも、なんていうか、映画版よりちゃんと寄り添ってる感じがあるんですよ。漫画の中のキャラクターに。

映画の方はもう少し遠くから眺めてる感じで。

観察というアプローチ

山田尚子監督のすべて映画がそうだと思うんですけど、「観察」なんですよね。

『映画けいおん!』でも『リズと青い鳥』でも、ガラスの水槽が出てくるんですよ。

その中には、カメとかフグとか、ストレートにかわいいとは言えないけど、よく見るとかわいいかもね、という生き物が入ってるんです。言い換えると「よく見てみよう」ということなんです。

授業ですよ。理科の授業。山田先生は「さあ、今日は水槽の中の女子高生を観察してみましょう」と仰ってるわけです。

で、その観察の手法が、『聲の形』に限ってはちょっと違うんじゃないか〜? と思った部分があるんですね。

最高なんですよ? 映画としては最高なんですけど、「原作者が作品を通して言いたかったこと」っていうのはだいぶ取りこぼしんてんなと。

で、山田監督がなかなかのワルだなと思うのは、取りこぼしてること分かってるんですよね。意図的に取りこぼしてるんですよね。山田ワールドを汚さないために。

山田尚子監督は原作改編しがち

山田監督って、ほら、あれじゃないですか。天才だけど、原作改変しがちじゃないですか。

『けいおん!』とか、原作の原型留めてないじゃないすか。あれ、原作通りに作ったら絶対ああいう作品にはならないじゃないすか。

『リズと青い鳥』も、『響け!ユーフォニアム』の、まあ、言ったら二次創作じゃないすか。

最高なんですよ? 最高の作品なんだけど、原作に対する思い入れはあんまりないよね。「俺ならもっと美しいものにできる」って思ってるよね。押井守が『うる星やつら』や『攻殻機動隊』の原作に思い入れがないの同じような感じで。

別に原作に思い入れがないのはいいんです。映画は映画、マンガはマンガなので。

『けいおん!』については、原作のかきふらい先生には申し訳ないですけど、やっぱりアニメ版あっての『けいおん!』ですもん。こればっかりは。

原作『聲の形』の力

ただ、『聲の形』に関して言うと、自分としては原作の方により感動したんです。

映画版は映像作品としては最高だし、めちゃくちゃ泣けるんですが、マンガの方はもっと泣けた。

「泣けた」とかだとバカみたいなので、ちゃんと表現するとですね、マンガを読む前は A 地点にいたのが、読んだあとは B 地点にいたんですよ。そういう力が原作にはあった。

天才の作る作品はだいたいみんなそう

一方で映画版の『聲の形』は、映画を見る前も後も同じ場所にいるんですよ。映像作品としては完璧でも、自分の立ち位置が変わってないんです。トンネルを抜けてない。

感動してるのは「これを作った山田監督と京アニすげ〜!」であって、作品の中のメッセージではないんです。

まあでも、天才の作るものって大抵そうですよね。

宮崎駿にしても、北野武にしても、作品のメッセージがどうこうじゃなく、単に「作品の完成度すげ〜!」で終わってしまう。

良いとか悪いの問題じゃなく、作品が強すぎて。メッセージ性は霞んでしまう。

『風の谷のナウシカ』とか、まあ、自然と共に生きる、とか? 人間の思い上がりはよくない、とか? よく分かんないですけど、そういうテーマというかメッセージはあると思うんですが、そんなことより「世界観の作り込みすげ〜!」「巨神兵すげ〜!」ですもん。

話の終え方が微妙

だから、シーン単位で「すげ〜!」ってのは死ぬほどあるんですよ。牛尾憲輔さんの音楽もすごいし、取っ組み合うときの動きとか、アニメの中の登場人物がちゃんと演技してるところとか。

ただ、そういった「すげ〜」が、ひとつの点に集約していかない感じがあるんですよね。

映画なので、当然、クライマックスもあれば最後の感動的なシーンもあるんですよ。でも、本当にそこに着地したかったの? ってなるんですよ。「とりあえず」っていう感じがあるんです。

山田監督の他の映画は着地点がはっきり見えていて、そこに完璧に着地するんですが。とすん、と。

最後の学園祭のシーンとかは蛇足に見えるんですよね。

西宮硝子と石田将也が橋の上で再開するシーンで終わりで良かったんじゃないかと思うんですよ。でも、原作に配慮して学園祭シーン入れたんじゃないかと。「他人に心を閉ざす主人公」という問題にケリをつける必要があるじゃないですか、一応。

でも、たぶん山田監督はその問題にはあんまり興味ないんだろうなというのが伝わってくるんです。問題の粒度が粗すぎるんですよ。

98点なんだけども

「映画」という括りだと 100 点中 98 点くらいなんですが、山田尚子監督作品としては微妙な点が目立つので、なんかディスってる感じになっちゃいましたが、98 点です。

それは強調しておきたい。98 点。

aiko問題

あと、言及するの忘れてたけどエンディングテーマ、aikoの曲。あれはないわ。台無しですよ。

aikoが悪いとかじゃなく、あそこにaikoの曲をねじ込んだ大人が悪い。誰も得しないのに。

なんか「映画Aと音楽Bを合わせりゃそれぞれのファンが買うでしょ」くらいに考えてるやつがいるんだろうな。誰だ。

『聲の形』の内容について

川井はクズだし、映画版では救われてない

作品の中身についてまったく触れてなかった気がするので触れようと思ったんですが、やっぱり山田監督、天才なので、どうしても山田監督論になっちゃうんですが、この映画に出てくる川井は本当にクズなんですよね。

自分がきれいに見えていることだけに腐心する嫌な女なんですよ、ほんと。

ただ、原作の漫画だと川井もそれなりの報いを受けるというか、「実はみんな川井のこと嫌いだった」ということが明らかになるんですが、映画版では、川井が報いを受けるシーンがバサッとカットされてるんですね。

するとどうなるか。観客の中では川井はずっと「ただの嫌な女」なんですよ。川井が救われる場面がない。

つまり、山田監督は「川井には嫌われ者のままでいてもらおう」と考えてるわけです。

「川井もいろいろ大変なんだな」って観客に思わせるのなんて、山田監督の手腕を持ってすれば15秒くらいで表現できるはずなんですよ。

じゃあなんで山田監督はそうしなかったのか。たぶん「川井みたいな女が嫌いだから」というだけの理由なんじゃないかと踏んでます。私は。

抱きしめたれよと

あと、これは納得いかないんですけど、将也、映画の終盤で、西宮が橋の上で泣き崩れてるのに抱き締めたりしないんですよ。触れもしない。

好きな女の子が泣き崩れてるんだから抱き締めたらいいのに。

「そういう映画じゃないから」とか、そういうことじゃなくて、ああもう抱き締めたったらいいのに!って思うんですよ。

人は8秒間ハグするだけで脳から快感物質がどばどば出るんですよ?

「そうするとその後の展開が」とか、そういうことじゃなくて、話の進め方とかじゃなくて抱き締めたったらいいのに! もう! とは思いましたね。

だって、抱き締めるでしょ、あんなん。あんな状況で、あんな関係性だったら。映画や脚本としてのテクニック的な話じゃなく、抱き締めようや! って思うんです。

花と帯を外す怖さ

まあその話はいいとして、西宮硝子、花火のときにかわいい浴衣着て、髪に花さして来るんですよ。お祭りに。それなのに将也はいつもの黒い服着てる、っていうあの感じがたまらないんですけど。

それはそれとして、西宮硝子、ベランダから飛び降りる前に、髪にさした花や、かわいく結んだ帯を外してるのよな。

人が死のうとする瞬間なんてなんでも怖いんだけど、「人は死ぬ前に花や帯を外す」っていう発想が一番怖い。

花と帯外すカットないからね。そういう説明カット挟まないところが、山田監督天才だなーと思う次第です。かわいいアイテム散りばめといて、これですからね。

帯はまあ、飛び降りるのにじゃまだから、ということだと思うんだけど、「じゃまだから外す」っていうのを、何もないところから気付いて描くってのがすごいし、その発想をドヤるわけでもないし、すごい。シミュレーション能力がすごい。

そして花を外させるあたりに『吉原炎上』と同じ凄みを感じました。今。この文章書いてて。山田尚子監督と五社英雄監督がすれ違った瞬間。