さぬいゆう・伊丹澄一『制服あばんちゅーる』の感想

1巻だけ読んでます。面白かったら続きを買うスタイルです。

「風紀委員長が風紀を取り締まる立場でありながら、恋心からついつい自分の風紀を乱してしまう」系のマンガです。大好きなジャンルです。他には『くノ一ツバキの胸の内』がこのジャンルに含まれます。

設定が好きなので、もうそれだけで十分なんですが、絵もいいし、読みやすいし、全体的に好感が持てる雰囲気なので、最高なんじゃないですかね。

読んでいるときの幸福感が強い。

娯楽って、結局面白さよりも幸福感の方が大事だと思うんですよね。アドレナリンじゃなくてセロトニン。幸福物質の方。アドレナリンは最初の一回だけだけど、セロトニンは何度も放出されるイメージ。同じマンガや同じ映画を繰り返し見ちゃうのは、セロトニンを得るためだと思うんですよ。

そういう幸福感を得られる作品としては、たとえば『木曜日のフルット』とか『たまこラブストーリー』等が挙げられます。繰り返し何度も見てしまう。「面白い」っていうのとは違うんですよ。「多幸感を得られる」っていうやつなんです。「ハイになれる」とも違います。たぶん「チルアウト」って表現が近いんじゃないかと思いますが、日本人が日本人に向かってチルアウトって言われてもね、とも思います。まあ、多幸感ですよ。要するに。

「多幸感が得られる > 面白い > 暇を潰せる > つまらない > 不快」という序列です。多幸感が得られる作品が最も希少価値が高い。

で、この『制服あばんちゅーる』ですが、多幸感を得られる内容となってます。『制服あばんちゅーる』っていう字面だけ見るとエロい感じしますが、全然そんなことはなくて、むしろ清楚系の内容です。風紀委員長が主人公なので。

繰り返しになりますが、「面白いの?」と言われると「面白いというほどではない」という答えになってしまうんですよ。「面白いというほどではないけど、でも、多幸感を得られるし、それって最高のことだと思わない?」と言いたいんですが、でも多幸感を得られるかどうかって、まさに人によって違う部分だと思うので、一般的には「面白い」の方が勝ちますよね。

「多幸感を得られるかどうかが人によって違う」と思う根拠としては、たとえば私、映画版の『悪の教典』を見ていると多幸感を得られるんですが、それってダメなやつじゃないですか。サイコキラーが主役のグロ映画で多幸感って、ダメじゃないですか。でも得られるんですよ、多幸感が。音楽やら演出やらと相まって。一方で『たまこラブストーリー』みたいな、万人が美しいと思うような作品でもやっぱり多幸感が得られるので、こういうのって人によって違うんだろうなと、そう思うわけです。

それはそれとして、『制服あばんちゅーる』は素晴らしい作品なので、続巻買います。『制服あばんちゅーる』っていうタイトルがなんとかならんかなとは思いますが。どう考えても安っぽいエロマンガのそれですもん。

あと、このマンガ、主人公の女の子が「〜だわ」「〜してるのよ」「〜いいわよ」みたいな、昭和のマンガみたいな言葉遣いするんですよ。風紀委員のしっかり者っぷりを表現したいのかもしれないんですけど、さすがに違和感あるので、そこも気になる点ではあります。でも多幸感に比べれば些細な問題ですが。